時間是2007年9月,我開始了製作動畫的第一步。而我也將這重要的第一步,賭在事關畢業的專題上。為了完成這部動畫,我花了將近一年半的時間,一個人,從零開始企劃這個作品,再將原本八千五百字左右的故事,轉化成約25分鐘的影片,再
進一步簡化成這支預告片。與其說是用這部影片在探討什麼,倒不如說是為做而做,畢竟沒有經驗的我,比起高談一些理論,倒不如先實際做個東西出來。
2007年の9月、僕はアニメ制作の第一歩を踏み出しました。しかもこの重要な第一歩で、卒業に関わるテーマ研究で賭けをしました。
このアニメを作るために、約一年半かけて、一人でゼロからこの作品を企画しました。
本来約8500文字のストーリーを、25分の動画にして、それをまたダイジェスト化してこの予告を作成しました。
何かを探求すると言うより、この動画は作るために作った感じです。
経験も何もない僕は口先で理論を語るより、まず実際に何かを完成させるべきだと思ったからです。
不過,在這部影片裡頭,我多少還是放了一些我想講的話。
でもやはり動画の中には語りたい事をある程度入れています。
雖然標題很夢幻,內容感覺上也像是在講神話的東西,
但是實際上看,卻和神話沒有半點關連。
幻想的なタイトルで中身も神話っぽく見えますが、
実際に観てみると神話とはまったく関係がない事がわかります。
「健忘的人類只相信眼前所看到的,過往的事物遭人無情的遺忘, 那只不過是因為人們又找到了值得相信的事物。」
「人間達は忘れっぽい、自分の目の前にあるものしか信じない、過去の物事は人に容赦なく忘れ去られる。だがそれも、ただ信じられるものをまた新たに見つけただけ。」
這裡的神話指的是「被人遺忘的事物」。
ここの神話っていうのは「人に忘れ去られてしまった物事」。
比如說老舊的VHS錄影帶、十年前的流行音樂、小時候住過的老家,小學畢業後就沒再聯絡的朋友,或是曾經很親密的家人等等。也許是很平凡東西,但對於已經成為過去的事物,
時間的流逝也只能讓人無奈的遺忘掉。也許是因為時間的沖刷,讓人們不得不遺忘,但是又有哪個時候不是因為找到了「足以相信」的新的東西呢?
例えば古くなったVHSビデオ、十年前のポップミュージック、子供の頃に住んでいたお家だった場所、小学校以来疎遠になってしまった友達、親しかった家族などなど。ありきたりなものかもしれない、でも既に過去になってしまったものは、もう時間の流れるがままに忘れるしかない。でも時として、それはただまた新たに「信じられるものを」を見つけたからなのでは?
整個作品就是在說這件事。
全体に作品が語っているのがこれです。
做為動畫的處女作,我盡了很大的心力,付出了相當多的時間及睡眠,也多虧了朋友們的仗義相挺,讓我在最沒經驗的配音及配樂上得到非常多的幫助,非常謝謝他們。
アニメの処女作として努力を尽くしました。睡眠時間も惜しまずにたっぷり時間をかけました。
友人達の協力もあって、一番馴染みのないアフレコや音楽の部分はおかげでとても助けになって、本当にありがとうございました。
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